一段落というわけではまったくありませんが、少しだけ書ける余裕ができました。 ご心配をおかけしましたが、私は幸い無傷です。 恐ろしいほどの揺れがあったものの我が基地の機能も健全で、初期救助・復旧活動の前線飛行場となっていました。
あれから一週間、このすべてが夢だったらいいのにと思います。 ただ刻々と過ぎ行く時間の中で、自分の、いや、まるでこの星を支配しているかのように振る舞っていた人間の無力さとおこがましさに愕然とし、わけもなく畏怖を覚えます。 何を見ても涙をこらえるので精一杯です。なにかがプツリと切れたら、叫んでしまいそうです。
それでも私などまだ、被災した方々に比べれば。 なにより命があるだけでも。
何が起きたのかすらわからないまま、突然襲い掛かってきた「海」に呑み込まれ、声を上げることも、家族の顔を思い出すいとまもないうちに亡くなっていった方々に、どんな罪があったというのでしょう。 どれだけ無念だったことでしょう。 残った人々は、この悔しさや怒りをどこに振り下ろせばいいのでしょう。
きっとこの大自然に比べたら、我々なんて、それこそ私たちがなんの気もなしにアリの子や草花を踏み潰しているように、さして気に留めることでもないほどの小さな小さなことなのかもしれません。
だけど、それほど小さな人間でもたくさんの信念や力が集まったら、とても大きななにかができるような気もしています。 私など気遣う必要はまったくありません。 それより考えてください。 我々が今後なにをするべきか。 なにができるのか。
チェーンメールや風評を広めることではないはずです。 笑って忘れることではないはずです。 だからといって喪に服したような生活を送ることでもないはずです。
人間にしかできない、あるいは我々日本人だからこそできるなにか。 東北で起きていることは、決して対岸の火事ではありません。 みんなが一丸となって、向こう何年も、何十年もかけて考え、取り組まなければならないことです。
そしてもしよかったら、そういった「力」の輪を広げてください。 そうすると、人はどんなことでも乗り越えることができると思います。 |
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